大強原のミルク道路(県道140号)の東、新しい四日市湯の山道路(国道477号)の高架下に草木が生い茂った所がある。ここを飛塚古墳という。この飛塚古墳には、こんな昔話が伝わっておるんや。
昔は、結婚式も葬式もすべて自分の家でした。とりわけ葬式は、必ず近所の人に家へ来てもらい手伝ってもらわないとぜったいにできなかった。また、毎日使うわけでは立派なお膳やお椀をよおけ買いそろえることができやん家がいっぱいあった。
そんな時に有り難いことがあった。飛塚古墳へ行って塚に向かって、「今朝、じいさんが、急にしもていきました。(亡くなりました。)明日は、葬式を出さなければなりません。どうかお膳とお椀を貸してくださいませ」と、言って拝むと、次の朝に塚の前に頼んで数のお膳とお椀などの食器がきちんと用意されておった。
こうして葬式も結婚式も思い通りの必要な数をいくつでもいつでも借りることができたんや。借りたお膳やお椀は、使ったらきれいに洗って乾かし、もとどおりに塚の前へかえしにいけばええだけやった。これは、飛塚古墳におる百五十歳にもなるケツネ(昔の人はキツネのことをケツネと言うとった)がおる。名は、お花と言う。そのお花ケツネが神様のお使いでお膳とお椀を用意しとるということやった。
このような民話は、日本中のあちこちにあり「椀塚伝説」とか「膳塚伝説」として伝わっておる。内容は、いずれも同じように塚で頼んでお膳やお椀を借りることが、ある時不心得者が借りた物の数をごまかして返さなかった。それからは、どんなにお願いしても二度と借りることができなかった。というお話しとなっておる。
大強原村の場合は、誰もごまかしをしておらんし。そしてお花ケツネというケツネがでてくるところが他所のお話と違う。きっと大強原村の村の人は、昔から正直者ばかりやったんさ。